官能の目玉焼き

 まず、ぎらぎらと輝く白身が見える。中央には無造作に黄身がまるく横たわっている。その上にはしなやかに溶けたバターが悠々と波を打ち、清純な白身をわざと汚さんばかりに黒胡椒の粒がちりばめられている。

 じっとりと目を凝らすと、今にも溶けだしそうに岩塩が黒い粒の間を行き来している。まるい穏やかな膨らみ、その後に続く優しい傾斜を経て、バターは薄くほんのりと焼いたトーストの中に染み込んでいく。

 私が妻の目玉焼きを初めて口にしたのは、結婚後初めての日曜の朝だった。夕べの夜の甘い疲れをお互い体に残し、ゆっくり起きあがった昼頃に、それは突如私の眼前へと現れた。コーヒーと、トーストに乗せられた目玉焼き。

「官能の目玉焼きと言います。」

 妻が得意気にその簡単な料理の名前を告げた。

「官能?どうして?」

 そう聞く私の顔を驚いたように眺め、一拍置いた後じんわりと笑ってから、彼女は自分のコーヒーを入れに立った。

 変なことを言う女だ。ただの目玉焼きにどうしてそう大仰な名前を付けるのか。彼女の突飛な行動には以前から驚かされてきたが、それが日常生活にまでも持ち込まれうるのだということに、私はそれまで気付いていなかった。

 もっとも、そう感じたところでその日の私の彼女のイメージには何の遜色もなく、むしろこれから続くであろうそんな妻との結婚生活に思いを馳せては、私は一人ひっそりとほくそ笑んだのである。

 さて、そして私はその目玉焼きと向かい合う。一見、奇妙ななりをしている。油っこくてらてらと光り、大きな黒い粒が我が物顔でたまごの上を舞う。朝からこんな重たいものを、と私は多少溜息混じりにそれを口へと運んだ。そして次の瞬間、私は妻への考えを改めざるを得なかったのである。

 官能の、とわざわざ銘打った彼女のセンスに私は呻いた。それは私の口の中で見事に舌を愛撫した後、鼻孔を軽やかに駆け上がったのである。はじけんばかりの弾力を持つ白身。こんがりと、そして柔らかく焼かれ、甘くバターを染み込ませたトースト。そしてなによりも黒胡椒とバター、そして某かのスパイスの奏でる薫り。

 私は何も言わず、ものも飲まずに、ただ溜息をつきながらその官能を咀嚼した。何と言っても特筆すべきは、白身の海をかき分けた後にようやく到着できる、あのまるく黄色い島の存在だろう。中に渦巻くものがこぼれ落ちてしまうのを恐れながら、それでも味わいの誘惑に負け、私はその柔らかな膜に歯を立てる。したたり落ちる濃密な黄金の蜜。それをなんとしても私は逃すわけにいかない。舌で絡め取り、唇を寄せて音を立てて吸い、舐め尽くす。

 気が付けば、テーブルの向こう側で妻が満足げに私の様子をただ眺めている。その意地悪そうに引き上げられた唇の端に気付き、私は突如我に返った。

「いや、なに、上手に焼けているじゃないか。」

 しどろもどろに答える私に対して、彼女はまたしてもなにも言葉を掛けずにおいた。ゆっくりとコーヒーを啜る。

「だから、官能の目玉焼き、って言ったでしょ。」

 ああ、確かにその通りだ。私は言葉にはせず、心の中で頭を抱えた。夢中で食べたものだから、指がバターで意地汚く汚れている。それを一本ずつ丁寧に舐め、皿に残ったソースをトーストの欠片でまんべんなく拭った瞬間から、もう彼女の勝ちは決まっていたのだ。私は眼を閉じ、ゆっくり溜息をつきながら、もうその甘い敗北感に身を委ねるしかなかった。


(了)


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